S100 canvas x 2

今、長野 STUDIO KAWADAでは、制作中の100号とは別に、S100号キャンバスが2枚並んでいます。
向かって左手は、昨日から2日かけて下地塗りの白いジェッソを磨いたキャンバスです。
右手は、やっと先月買うことのできた兎膠塗りの麻布を張ったキャンバスです。
こちらは明日から下地ジェッソを塗り始めます。

キャンバスの下地材は、あらかじめ少し塗られたものが多く普及されているので、キャンバスは白いものと思っている人も多いかもしれません。
それらは大抵、油絵具用に油が混ぜられている場合が多く、それはアクリル絵具にとってあまりよい下地材ではないのです。
まさしく「水に油」という関係で、長い年月に耐える作品にはなりません。

そこで、私はフナオカ社製の生の麻布に兔膠が塗られたものを使用しています。
このキャンバス布にこだわる理由は他にもあります。
私の作品には平滑な下地が必要だからです。
平滑な画面でなければ、ハッチングの細い線や、スクラッチの線を細かく入れられないのです。
何度もジェッソを重ね塗りしてから、耐水性のサンドペーパーで磨いて、麻の布目を完全に無くしていくのですが、この製品は、あらかじめ膠が塗ってる事と、極細目の布地が用意されているので、磨く時間が若干短縮され、肉体労働も軽減されます。
画材の吟味が出来ていなかった頃は、とても苦労して磨いていました。
ジェッソを塗る刷毛も重要なファクターですが、これはまた別の機会にご紹介することもあるでしょう。

下地材をなぜ塗るかというと、私の場合は以下3点程理由を上げられます。

1.筆さばき、絵具の乗りが良い。
2.絵具の発色が良い。
3.強固な画面。

下地ジェッソを磨く
下地ジェッソを磨く

ジェッソは磨けばかなりツルツルになりますが、磨かなければ、マットでざらついた感触です。
そのざらつきの隙間に絵具が食い込んで、絵具をしっかり固定させるのです。
そのざらつきが強ければ、絵具はマットになり、
ざらつきを磨けば、絵具にツヤやかな光沢が生まれます。

平滑に磨く加減がとても重要です。あまり平滑にし過ぎると、絵具が滑って画面への定着が思うようにならなくなります。
そこで私の場合は、平滑にしてから更に平滑に2回程ジェッソを塗るようにします。
そこからアクリル絵具を何十層もあらかじめ塗って行きます。

この磨きに手間を惜しまず、アクリルメディウムを適度に混合すると、アクリル絵具であっても、油絵具のような質感を生み出すことが可能です。

絵具は、なるべく重層にして粒子の詰まった状態にしておくことが望ましいのですが、
だからといって無闇に厚塗りすると、画面から剥がれやすい状態にもなります。
それを補うのが接着剤としてのメディウムですが、その力にも限界があります。
発色の良い強固な絵具層にするためには、何層も重ねたパイ生地のように、
薄い絵具層を乾燥させながら重層状にすることが望ましいのです。

私がキャンバス画面にカッターでスクラッチをするというと、「破れませんか?」と聞かれる人がたまにいます。
ジェッソは、乾くととても固く、粘性もあるため、そうそう刃が立ちません。
ましてや麻という材質もかなり強いものです。
そういうことを経験的に知っていると、例えばルーチョ・フォンタナのキャンバスを切り裂く作品は、
「とても難しいことをいとも簡単にやっているように見せているから凄いのだ」という感想を持つことができます。

スクラッチというと、誰もがクレヨンで経験したことがあるようなので、とても身近に感じて下さいますが、アクリル絵具でこれをする作家が後に出て来ないのは、おそらくこの下地作りがとても面倒であるからです。
あるいは、この意味に気付かなければ、思うようなスクラッチは出来ないと思います。

以前、ある老舗の画廊の職員から、わざわざ電話で、ハッチングとスクラッチの制作方法について妙に詳しく問い合わせがありました。
その時は、なぜそんなことを詳しく聞かれるのだろう?と思ったのですが、
それから半年後くらいにたまたまその画廊の北京支店を見に行く機会が出来て、そこでその意味がわかったような気がしました。
私の作品のようなハッチング描写を使ったミニマル絵画が展示されていたのです。

ちょっと一瞬ショックでした。でも、やっぱりスクラッチは出来なかったようで、その時は見かけませんでした。
「もしかしたら、人件費の安い中国で同じような作品をつくらせてみようということで、私の手法を聞き取ったのかもしれない」とその時思ったものです。
それからも、何度かいろいろな人に手法を聞かれますが、でもその度に私は包み隠すことなく教えます。
でも、似たような作品は今のところは見かけたことがありません。

この絵画の下地の重要性を理解しないからだと思います。
そしてそれを知ったところで、やはりそれを長年続けて行くことはとても大変なことだからです。

そして、技法を取得したところで、
その技法でなければ表現できない自分独自の何かがなければ作品として成立しないからです。

例えば美術史を紐解けば、ローマ人がいくらギリシャ人の奴隷に彫刻を作らせても、「ローマの彫刻はギリシャ彫刻のレプリカにすぎなかった」と評価されてしまうわけです。

芸術には、技術そのものではなく、その精神とは何かが自ずと表明され、それは隠しようもなく感受されてしまうことになっています。

制作には喜びもまた辛さも同時にあります。
そもそも本来の芸術の意味には、職人仕事とイデアの閃きとの両義が含まれているのです。
この下地にどれほど長年の熟練と経験が必要であることか。
そしてこの地道な作業の時間の中にこそ、次の作品のイデアが降り立つ余白があり、
そして、その肉体的負担を押してまでも制作しようとするからこそ、尽きせぬ情熱によって制作は維持されて行くのです。

追記:
さまざまな絵画が存在します。印象派の画家たちは、屋外で光の移り変わりを瞬時に捉えて制作することが重要でしたから、既成キャンバスに油絵具を直塗りしました。そういう絵画をプリマ画と言います。

またアメリカでは、綿花栽培が盛んで手に入れやすい材料だったことから、アメリカの抽象表現主義の作家たちは盛んにコットンをそのまま木枠に張って制作をしました。

画材や技法は、それを生み出した何らかの理由が必ずあるのです。