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霞を食べて生きること、制作すること

今日からS100号の絵具層の刷毛塗りが始まりました。1度塗ると30分以上乾かします。その間に、本を読んだり、サイトで気になることを調べたりします。

今日はたまたま国分功一郎著の『暇と退屈の倫理』の序章が、朝日出版の編集ブログに9回にわたって連載されているのを発見し、その記事を読みました。國分功一郎氏は、ドゥルーズの翻訳もしていて、いくつか読みたいと思っている本があります。近々図書館にも行ければと思っています。

この20年近く、自分が暇だとか退屈だと思ったことがなく、むしろ全くの逆で、もう少し余裕を持てたらと思っているので、この本に興味を持ちました。

序章だけ読んでみて、ある意味逆説的に、なぜ自分がいつもいろいろな意味でギリギリなのかも分かったような気がしました。

何が分かったかといえば、この状態が制作にはベストだということです。
時間の余裕や経済的余裕があったら、きっと余計なことをして、制作に集中出来ないかもしれないと思うのです。

そう思ったら、「これが私の人生」と今の自分を受け入れることが出来、ホッとしました。

もう少し作品が売れたら、どんなに心の余裕が持てて、のびのびした気持ちで制作出来るだろうと、思わなくもないのです。

しかし一方で、余裕がないからこそ、余裕の無さにも動じない自分であろうと、自分を高める努力ができるのだと思います。

もっと器の大きい人間になりたいと思う。

開き直るわけではないけれど、
人間臭い欲望など微塵もないような、そんなことに左右されず、
「霞を食べる人生こそが、私の意志で主体的に選んだ人生なのだ」と自覚し、
謙虚に、しかし堂々と生きる自分でありたい、と。

その積み重ねが、必ず作品に出て来るものだと思うのです。

そう生きているつもりでも、知らないうちに、自分が選んだ人生という意識を忘れてしまいがちです。

「自分がそうさせられている」のではなく「敢えてそうしているのは自分なのだ」そういう自覚を持って生きている人間にこそ、自分の制作、自分の作品と言うものが与えられるに違いありません。

間違っても「絵が売れないのは仕方が無い」などとは言ってはならないと思う。

「難しいからこそ、敢えてそれに挑戦しているのだ。」

「難しいからこそ、私がする意味があるのだ。」

「結果ではなく、難しいことに挑戦できること自体が素晴らしいのだ」そう自覚しなければならない。

そういうことが考えられるようになったのも、一重にこの境遇に飛び込んだお陰です。
そしてこの境遇にあっても、沢山の理解者、支援者に恵まれています。
そのお力添えに応えられるべく、より一層制作に精進して行く所存です。

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*「画家川田祐子 芸術支援寄付」プロジェクト収入の経過報告52*

6月2日~6月10日

応援寄付 0名様 0口          0円
賛同寄付 1名様 2口      20,000円

小計          20,000円

*制作の大きな励ましとなりました。
実際、霞を食べはじめていたところだったのですから(苦笑)。
筆の購入等、有効に活用させて頂きます。
本当にありがとうございます!
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今月末まで あと133,300円
目的達成まで あと 1,106,303円
(2012年5月380万円目標から出発)