sky-mountains and river-s
sky-mountains and river
2012
scratch/hatching
acrylicgouache on canvas
60.7×60.7cm
¥180,000-
作品のお問い合わせはKANEKO ART TOKYOまで

2010年から今年にかけて、長々と制作して来た作品のひとつです。
昨年の後半は、全く制作ができなくなり、毎日未完のこの作品を見る事は、とても辛いことでした。
そのため次第に、見るに絶えられなくなり、しばらく裏面にしてありました。
そして、いつしか忘却され、ある時ふと思い出したように拾い上げた時に、正方形だったため、天地がわからなくなって、このように見たのでした。

sky-mountains and river-s+180

こんな作品だったかしら?ということで、このようにもしてみました。

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「これもありかも...。」
という自問自答が始まりました。

実は、抽象絵画の父カンディンスキーに、このような逸話が残されています。

「1900年より少しまえのある日、自分のアトリエに戻ってきたカンディンスキーは、そこに『内的な光に輝いて言いようもなく美しい絵』を見出して驚いた。その絵の上にただ『彼には内容はなにともわからぬ色と形のみ』を彼は見たのだった。最初の驚きが過ぎてよくよく見ると、その絵は、彼自身の作品で、ただ横になっていただけであった。翌日見直したときは、前日の眩惑はもう消え失せていた。その絵を逆にして見ても、そこに描かれた対象は、はっきりと認められ、その対象が当初に感じたあの美的喜びを再び見出すことを妨げたのである。この体験から、彼は、対象は彼の絵画にとって邪魔になるという結論に達した。しかし、彼が、完全に非具象絵画に移行したのは、それから十年後彼が44歳のときであった。」(ミッシェル・ラゴン著『抽象絵画の冒険』p.19)
*この本は抽象絵画を好きになりたい人には、とても重要な本です。絶版なのに、古本でこんなに安く出ているなんて。。。

これは誰もがその名を一度は聞いた事のあるカンディンスキーが、自分の描いた具象絵画の天地逆さまから抽象絵画を発見したという逸話です。それにしても、その彼でさえそこから抽象絵画というものを制作するまでに10年の熟成期間が必要でした。それがいいことなのか、何なのか、その経験にどのような重要なメッセージが隠されているのかを、おそらくずっと問い続けていたのでしょう。

私は、天と地のある世界観をあまり信用していません。人間は確かに大地に立ち、空を見上げ地を見下ろしているかもしれません。しかし鳥は、人間の頭上を自由に飛びながら、それを俯瞰してこう笑うでしょう。

「それは人間の言い分です(笑)世界は人間のためだけにあるわけではないのですよ。」

鳥には鳥の視点と世界があります。人間も鳥も同じ世界にあるのにもかかわらずです。

確かに芸術作品は人間の目に向かって見てもらうものではありますが、世界を見るさまざまな視点を提示するのも芸術の重要な役割なのです。また、人も別の視点をいくつも持てることが重要です。ひとつの価値観にこだわっていたら、今ある問題は解決出来ないものなのです。「その問題が問題でなくなる別の視点を持つことが、解決につながる」そういうものではないでしょうか。

アメリカの女性画家、ジョージア・オキーフはキャンバスをぐるぐる回転させて描いた作品を残しています。記憶が正しければ、白い大きな花の絵だったはずです(画集を売ってしまったので、確かめられません)。

デッサンの入門時期に、学ぶ事ですが、デッサンが狂っているかどうかを確かめる一番良い方法は、画面を逆さにして少し離れた所から見る事です。人間の目というのは思い込みが邪魔して、客観視する事が難しいものです。それを補うために、わざと違う視点から観察する必要があるのです。

私の作品は、画廊での展示でもよく違う向きにして楽しんでもらう事が度々あります。
そのことでまったく違うものが立ち現れて来ることがあるのです。

なぜそのようなことが起きるかというと視点を変える事で、地と図が逆転し、図だと思い込んでいたために見落とされていた形が背景になることがあるからです。たまに私の作品に、違う図が浮かぶことに気づく人がいます。これを心理学の世界ではゲシュタルトといいます。この現象で有名な絵にロートレックの『貴婦人と老婆』という作品があります。
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ある人は、その絵に貴婦人を見、ある人は老婆が描かれていると見るのです。まず両方の視点に気づく人は、極少数です。大抵は誰かに指摘されてはじめて気づくのです。人間の目というのは、その人の見る視点や世界の思い込みにかなり左右されています。そういうことは、絵画を長年見て楽しむ経験を持てば、自然に実感出来るものだと思います。

私の作品も、実は長く見てもらうことで、楽しんでもらえたり気づいてもらえるように作る努力をしています。一瞬見て、もうわかったような気になってしまうような絵は、長年見るに耐えるものではありません。「10年でも100年でも見ていたい」「以前とは違って見える」「いくら思い出しても鮮明に思い出せない」だから「また見よう」と思ってもらえる、それがその作品にとって幸せなことです。

その努力のひとつの仕組みが、このゲシュタルトです。地も図も天地の区別等なるべくないようにして描くので、こういうことが起きることがあります。誰かが主人公で、誰かは脇役。そういう世界はつまらないと思うのです。その人は、ある時は主人公なのに、ある時は脇役になっていたら凄いと思います。名脇役というのは、主人公なのではないかと思わせる程の存在感があるものですね。私の絵画には、そういうことをこっそりと仕込ませてあるのです。

最後に、これは以前私が活動の初期にお世話になった、女性の画廊オーナーが、世間話のついでにおっしゃっていたことですが。画廊を経営する以前は、頭の上から足先まで全て「ブランドもの」という出で立ちで生活していたそうです。ところが、ある作家と出会い、美術作品に触れるようになった瞬間に、全ての価値観が全く変わり、それまであれほど夢中になっていたブランド品が、全て色褪せて見え、家にあることすら恥ずかしいと思うようになったそうです。それを全て処分して、世間の目で判断するのではなく、自分の本当に合うファッションを考えて身につけるようになったということです。美術に触れるようになると、こういうことが起きるという一つの例です。

今のライフスタイルのままでいいのだろうか?立ち止まって、そう感じたら、是非美術作品に触れ、出来れば部屋に1点作品を置いてみることをご提案致します。

ブランドものを処分しろという話しではなくて(笑)、逆立ちして世界を見るように、まずは作品を逆さに見てみましょう、ということなのです。良い作品は、逆さにしても良く見えるものです。これは本当です。そして、美術館では逆立ち出来ませんから、ご自宅で作品を逆さにして見て頂けたら、と思うのです。

追伸1:
ようやくドライポイント・リトグラフを搬出しました。1998年作の作品がようやく販売されることになります。詳しくはまた、改めてご報告致します。

追伸2:
今月2度目の寄付をして下さた方がいます。本当に励みになります。ありがとうございます。
皆さんの負担を思うと、早く経済的な問題を解決しなければと思い、企業の助成金制度にはじめて申請してみました。祈るような思いで書類を提出しました。結果は7月下旬です。

*「画家川田祐子 芸術支援寄付」プロジェクト収入の経過報告10*

期間:6月13日~14日

応援寄付 1名様 1口 1000円
賛同寄付 0名様 0口   0円

6月分収入総計 56499円
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6月末まで あと 103501円
目的達成まで あと3,564,016円