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『クインテットー五つ星の作家たち展』開始

お陰さまで、1月11日に無事『クインテットー五つ星の作家たち展』が始まりました。
9日に展示作業、10日に関係者などによる開会式があり、忙しさに紛れていましたが、
11日の朝、42階にある美術館に向かうエレベーターの中で、突然涙が溢れて来ました。

この日を迎えられたのも、一重に沢山の方々が温かく見守り、励ましや支援の手を差し伸べて下さったお陰です。

私という個人が制作したのではなく、沢山の善意によって生まれた作品が、
現在損保ジャパン東郷青児美術館にて展示されています。

また、かつては沢山存在した作家たちの中からしのぎを削り、
ここまで生き延びて来られた私と同時代の作家たちの作品とのハーモニーも絶妙です。
比較することで、さらに川田作品の特徴が明確になって来ると同時に、
時代というものが見えて来るに違いありません。

このような贅沢な展覧会は、おそらく私がいなくなった後、
50年後、100年後に実現出来るかどうかという貴重な企画展です。

どうぞお見逃しなく!

遠方の方にも、是非足を運んで頂けるよう、出し惜しみすることなく展覧会の様子をご紹介致します。

クインテット展示1
中央は、『クインテット展』のチラシ等に使われた作品『雲のアルペジオ』です(作品内容の詳細はこちら)。
その右隣は、東京国立近代美術館の所蔵になった『A THOUSAND WIND』です(作品内容の詳細はこちら)。

クインテット展示2
向かって左の部屋は長野時代の部屋。右は相模原時代の部屋です。
画家は制作の場所の環境によって変化するのかどうか、
作品を観に来た方々に感じ取って頂く展示に致しました。

向かって左2番目の作品『A THOUSAND WINDS』だけは相模原時代の作品ですが、
私の作品の中に、もともと自然の中へ向かう何かがあったことを見て頂こうと思いました。

クインテット展示3
今回最後に描き上げた『仙境』です。
作品の中央部分は、実際に長野の空に見た雲を描いたもの。
両脇は、その実際の光景を自分なりに膨らませて、自分と自然とをコラボレートさせて制作しました。
絵画は自然を超えるものなのか?
自然を自分の中に見出すようにして絵画が生まれるのか?
自然と絵画の間で揺れ動きはじめた制作がここから始まりました。
この問いは、次回の2月11日からの個展『自然は鏡』で発表する作品へと展開して行きました。

クインテット展示5
向かって左は、『A THOUSAND WINDS』(作品内容の詳細はこちら)です。

右は2008年から制作を開始し、
2010年に世田谷区碑文谷のイベント『ブルジョア・ボヘミアン』で公開制作を行った作品です。
2011年の3.11の震災の時も制作し続けました。
この時期に私自身もさまざまに揺れ動きました。
途中は、津波のようになったり、
山形蔵王の樹氷の記憶も重なって行きました。
紆余曲折あったものの、
雪のように白く柔らかく、氷のように透明なものを求めるようになり、
極寒の時期長野へ向かうことになりました。
そこで『雪波』と名づけた作品です。

クインテット展示4
長野で制作した3点です。
左から『cloud』『鳥は見ている』『風はみちびく』。
どれも自然環境から制作に強い気づきを与えられて生まれた作品です。

左:『cloud』
空には、私が描いたような雲が浮かんでいました。
私は自分の作品に導かれて長野に来たのだと思わずにはいられませんでした。

中央:『鳥は見ている』
制作をしていると、手と目は制作から離れることが出来ませんが、耳だけは自由です。
制作をしながらも、高く遠い空を感じるのは、鳥のさえずりに耳を傾けた時です。
作品の中央に小さな空を開き鳥を仰ぐような制作をしている内に、
その空が鳥の目に見えて行きました。
そして私たちは、常に鳥に見られているのだと気付いたのです。

右:『風はみちびく
足を骨折し、それまでの自分の気骨のなさを反省した時に、
ふと気付いた雑木林の木々は、冬によって葉が落ち、それまで見えなかった枝を私に見せました。
それは風の流れを感じさせる骨組みになっていたのです。
私もまた道なき道を、風に導かれてここまで歩んで来たのでした。
そこに自ずと道が出来、構造が生まれます。
制作にもこの骨組みを考え始めたため『風はみちびく』と名づけました。

SONY DSC
相模原時代の作品を紹介する部屋です。

私の制作の原点は、「線を重ねて行く」行為です。
この行為を残すことで、日々の制作の時間の経過を作品に残します。
そのことを伝えるために、展示の最初にドローイングを持って来ました。

また、今回『クインテット展』に出品することで、私の作品にスポットが当たりましたが、
光の当たる所には必ず濃い影が出来ます。

スポットライトが当たらなくても、挫けることなくコツコツ制作して行く姿勢をいつまでも忘れることがないように、
左手前のドローイングには強い光あえて当てず、まわりの光や壁からの反射光だけで、
目が慣れるまでじっと見て頂くことにしました。

11日は、ギャラリートークがあり、寒い中沢山の方々に来て頂きました。
さっそくご感想をメールで頂きましたので、そのままご紹介致します。
この方は、長野県の小川村から私の食料を心配して、お米など食べ物で応援して下さった方です。
ブログ(『旅と絵』)をお持ちなので、是非そちらもお訪ね下さい。

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昨日は体素晴らしい展覧会を誠に有難うございました。
アーティスト・トークもとても素晴らしかったです。
支援者の方も多数お見えの様で、
私もとても幸福な気持になりました。
有難うございました。

あの後にまたじっくりと作品を見させていただきました。
作品を拝見していると、
その中で様々なものが生まれては消えているのが見えました。
その感覚は私なりに言葉にするとこうなると思います。

作品制作にかかった膨大な時間。
しかしそれは川田さんの人生の時間軸の中ではある区切られた線分でしかありません。
しかし作家の手を離れた作品は、
作家の費やした時間線分の両端を繋いで円環となし、
一つの宇宙として輪廻転生を永遠にその中で繰り返しているように思えます。
普通の時間観・歴史観は直線的ですが、
作品の中では一つの宇宙として全てを永遠に繰り返している。

また画面には様々な形が見えますが、
近づいて見れば全ては短い線に還元されて形はどこにも無い。
それは例えば普段存在を疑う事のない強固な物質というものが、
ただ素粒子が飛び回るだけのすかすかの空間でしかない事を思い起こさせます。
あるいはこの一つ一つの短い線が、
時間と言うものは無限小の今の積み重ねで成り立っている事を語っているようにも思えます。
また複雑に絡み合った色層の重なりは、
仏教で言う「五蘊仮和合」の表象とも思えます。

描くという行為も、
削り取り無くして行く事と、
筆で描き足して行く事の積み重ねである事が、
この世界は二元論的でありながら不二であると、
そう語っているように思えます。

作品は見る事の不思議、
見ているという認識の不思議、
ものの存在の不思議、
自己認識の不思議など、
留まる事なく様々な事を投げかけてくれました。

2年間もの間、
寄付を募りながら制作に専念された事は、
とても貴い時間を過ごされたと思います。
この事だけでも人々に大きな勇気を与えていると思います。
これからの展開も期待しています。
どうぞお体お大事に、
制作に励んで下さい。

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ご感想ありがとうございました。
皆さんからのご感想もお待ちしております!