展示作業は、お陰様でとても順調に進み、
午前中に照明の調整も済ませることが出来ました。
北側展示室の大きなスペースの照明は、
吹き抜けの高い天井に開けられた北向き丸窓からの自然光が主体なので、
美術作品の照明として最適な環境です。
お天気の具合や、時間帯によって見え方も変化すると思いますので、
横須賀の海を散歩したり、美術館裏の公園を散策しながら、
1日の展示作品の見え方の変化を楽しんで頂けたらと思っております。
第8展示室の小さい部屋も今回使わせて頂いているのですが、
その部屋に100号以下の作品を集めて展示しています。
そこではスポットライトを使っていて、
少しトーンダウンした照明環境です。
スペース中央に低めのソファを置いてもらっていますので、
作品を見ながら静かに瞑想するにはもってこいです。
今回思い切って初期のスクラッチ作品を出品していて、
担当学芸員さんから質問を受けて気付いたことがありましたので、
ここで作品解説のようなものも書いておくことにします。
出品作品の「insaide」と「outside」は、
ボードパネルのジェッソ地にアクリル絵の具を塗り重ねて、
カッターナイフで純粋にスクラッチだけした、初期の作品です。
今から思えば、下塗りやスクラッチに未熟な点が残っていますが、
修正することなくそのまま出品しています。
その技法が生まれるまでに、いろいろなことがあって、その手法に辿り着きました。
一つは、当時それまで紙の白を生かした水彩の作品を発表していて、
それをご覧になった故加島祥三さん(発表した画廊の店主のお父様でした)が、
「紙の白は美しいけれど、すぐに傷んでしまいそうな弱さを感じる」
とご感想を頂いたこと。
二つめは、その時期に丁度、新横浜のリトグラフの工房に通っていて、
アルミの板にニードルでスクラッチするドライポイントのリトグラフ作品を制作したこと。
大まかにはこの二つがきっかけで、
スクラッチ技法へと変化して行ったのでした。
スクラッチで最初から傷つけてしまえば、
多少の傷も目立たないというわけです。
絵の具との対話、刷毛との出会い、塗りの上達、下地材の研究、
カッターナイフを使うという発想、
どれも一から自分で組み立てて行きました。
今回気付いたのは、スクラッチ技法は、
内面的には私自身が子供の時から自然なものとして備わる、
自傷行為と関係が深いということです。
自傷行為というと、ドキッとしてしまう人も多いと思いますが、
人間は誰しも大なり小なり、そういう行為を無意識でしているものです。
例えば私の母などは、子供や主人の犠牲になることを厭わず、
半ば奴隷のようでありながら、本人はむしろ自尊心すら持っていたようですし、
妹は、ワーカホリックで、1日の殆どの時間を会社のために捧げ、
会社に寝泊まりしてまで仕事をしていて、それを生き甲斐にしています。
人によっては、ダイエット系の断食や、運動系のハードトレーニングや、
宗教系では冬の滝行や火の上を歩く火渡りという修行、
キリスト教では修道士が鞭で自分を叩くシーンを、
「薔薇の名前」という映画で見たことがありますし、
キリストの残酷な磔刑そのものがそういうシンボルのように感じます。
それらが意識的に祭の行事として公に認められれば、
陰湿なものにならず、むしろ健康的な表現に転化されるのですが、
これが無意識に陰にこもって蓄積されて過剰に行き過ぎて行くと、
とても不健康なものになってしまいそうです。
それは大袈裟に言えば破滅や自滅への道へと続き、
自分だけでなく、周囲の人にまで強制して行くことになると、
例えば戦争やテロという引き金になって行く可能性だってありそうです。
そもそも自分を大切にする力を地球の全ての人が持てば、
絶対に戦争は起きないはずです。
だから、一人一人が自傷行為というものに注意深くなる必要があります。
自分の身体をいたわることは、何も甘やかすことではないのです。
地球の平和を守るために大切です。
私は、たまたま絵画作品にそれを表現して、客観的にすることが出来ました。
それは当時、多少未熟で痛い表現であったかも知れないけれど、
やがてそれは浄化されて、ハッチングという手法に変化して行ったのでした。
当時のこの二つの作品は、タイトル通り内面的にも外面的にも、
若さゆえの痛さがそのまま残っています。
是非間近でご覧頂いて、決して器用とは言えない、
素のままの川田祐子をお楽しみ下さい(苦笑)
このように私のスクラッチ作品は、
手工芸の技巧の上達を目指している表現ではありません。
あくまでも、アクションペインティングの延長上にある、
ミニマルな繰り返しの人間の手の行為から生まれた表現だったのです。
追伸
お陰様で横須賀での展示作業が無事に終わって、
昨日長野に帰って参りました。
明日から展覧会が始まりますが、
まずは来館者の皆様に作品をゆっくり、
お気兼ねなく楽しんで頂きたいと思います。
勝手ながら会場でのご挨拶は省略させて頂きます。
お許し下さい。