私の作品を接近して見ると無数の線描のみで成り立っているので、それを雨に例えて説明することがあります。『一雨潤千山』という言葉が好きだからです。ずっとこの言葉を出発点にして作品をつくってきました。

「線引きをする」という言葉は境界をつくるという意味になりますが、私の「線引き」をここ数年、むしろ境界のない、朦朧(もうろう)とした効果を出すために使っています。

20年程前になるでしょうか、「ファジー」とか「フラクタル」というような言葉を聞くき、世界を見る目が変わりました。私はその言葉を聞く前は、日本のこの理屈の通らない、あやふやな感覚や態度が嫌でした。ですから、学生時代にドイツに行き、そこの土地の割り切れるシステムにほれぼれした程です。

例えば夕方5時以降は例外なく冷酷な程に、パタリと仕事を止めてしまうとか、「なぜ?」という答えに「わからない」と答えるわけにはいかないというような習慣。私自身はとても馴染でいました。明確さとは、生きる上で様々に生じてくる不安を、少しでも解消する知恵だと思っていました。

でもその安全さに恵まれたドイツから帰って来て、たまたま国立博物館で展示されていた長谷川等伯の国宝「松林図」を見た時の感動は忘れられません。「日本はなんて湿度が多くて、しっとりとしているのだろう」と感嘆し、「ここ」とも「どこ」とも言えないような、あやふやな空気感に漂いながら、身体の力が抜けていくようでした。自分の存在すら霧の中に消えていくような感覚。嫌いだった日本の「あいまいさ」が、突然心地よさに変化した瞬間でした。

松林図
長谷川等伯作「松林図」

それから耳や目に「ファジー」とか「フラクタル」という言葉がリンクしていき、「あいまいさ」の美意識を持つことができるようになっていったように思えます。

当時読んだ本の中に「ファジーとは、一見ふわふわとした羽根が、実は顕微鏡で見ると明確な構造を持っていることを示す」というような一節をみつけ、当時ドイツと日本との狭間で身の置き所を探していた私の目から鱗がはがれた思いでした。

私が描線をあえて消さずに残していくのは、この構造をつくりたいからです。自然界の有機物にしろ無機物にしても、どこまでも顕微鏡で拡大して覗いていっても、微細な構造を備えています。この構造さえ踏まえれば、そのものが立ち現れてくるというようなことを画布の上で試みたいのです。

ところで、「線引き」という言葉には、境界をつくるという意味がありますが、私の「線引き」は境界にはなりません。輪郭線にしていないからです。ですから地と図の区別がなくなり、人によって見ている図柄が異なってきます。「どこに焦点をあてたらよいのかわからない」という意見も伺うことがあります。でもそれをけっして短所とは思っていません。むしろ、絵画が重層構造を持つための方法、ととらえています。

長谷川等伯は、水溶性の墨の、紙への滲みや墨の濃淡を利用して、あいまいな空間表現を成功させています。

私の作風のあいまいさは輪郭線がないだけでなく、点が動いて線になるそのブレの表現から生まれてくるものです。線を描くというのは私にとっては光の矢を放つ行為なのです。無数の閃光が飛び交い世界を見えるものにしている、そういうところから意図しては生まれ得ない、あいまいな空間をつくっているです。

「あいまいさ」というのは、良くも悪くも使われる言葉です。しかしながら現代において、「あいまいさ」がいかに大切なものかはしばし言われるところです。人間どうし、国どうしの境界線が無くなれば、どれほど平和になるでしょう。そして、「あいまいさ」を宗教でもなく、倫理観でもなく、美意識として持つことが、まずは大切だと思うのです。