現在、東日本橋のKANEKO ART GALLERY にて個展を開催中です。
よろしくお願い致します。
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テーマ『HATCHING=孵化/ほころぶ』について
いつのまにか大きな山の中を歩いていました。その山を昔の人は富士と記したり、不死の山と書いていたようです。それを普遍的な抽象的概念で、「不二」ともします。最近はその言葉をよく思い浮かべて描きます。一昨年に発表した『O-NE(尾根)』のシリーズから、最終的に『ONE(ワン)』という作品が生まれました。制作室から毎日眺めていた丹沢の尾根を辿って行くような制作をしているうちに、自分の存在する相模原の地と丹沢が、より近くなり、地続きに土地が広がり、後から名付けられた区画などはなくなり、すべて一つの世界であったことに気づきました。
制作しながら、その不二を歩き、どこもかしこも美しく、その美しさをどこかで切り取ることなど出来ない世界に迷い込みました。ある方向からの、ある時間に見えるものだけが美しいわけではなさそうです。そこここに美が隠れ潜み、それを見ようとするものだけに、それが開示されます。ところが、ある者には、美であるのに、別の人には美ではなくなる、あるいは、ある時に美と思われたものが、すぐに色褪せる、ということも起こるのです。
全ては同じ素粒子で織りなされた世界と考えるならば、その思念する目や意識が美をつくるのかもしれません。そのように思い描いて、不二を歩き、そこに見えるものを切り取って描くのではなく、自分の思念の中の美を見出すことで、不二に関わる私なりの美を取り出したいと思うようになりました。
これまで15年程、作画する時に使って来た、スクラッチ、ハッチングという技法は、素粒子が飛び交う時空を線でとらえて、それらが交錯する空間を掘り起こしたり、積み重ねながら、時空間を構築しようとするものです。ある時は自分自身の過去にさかのぼったり、見る人がその人なりの過去を探ったり、あるいはまだ行ったことの無い場所を見ることすら可能です。特定の場所や時を主題にしたものではないからです。そして常に、毎日単調な線をひたすらに重ねていくので、同じものしか出て来ないかといえば、その時その時の自分自身の中に起こる何らかの変化が、線の一つ一つに残って、それらが集まると、その時にしか生まれて来ないものが立ち上がって来ます。それが「不二」とする由縁です。それはまるで、不二に向かって歩きながら、どれが一番美しい石なのかわからないので、一つ一つの石を拾っていくようなことに似ています。
2009年のKANEKO ART TOKYOでの個展で発表する「不二(FUJI)」「赫映(KAGUYA)」「月華(TUKIHANA)」「蓬莱(HOURAI)」は、不二=不死=富士山の信仰にまつわる『竹取物語』の中で拾い集めた言葉から、抽象的な概念を取り出して制作した連作です。私にとって『竹取物語』は、月の満ち欠けに由来する生命の破綻と生成すなわち『孵化』や『ほころぶ』の向こう側にある、普遍的なものへの志向性を示唆しているように思われ、作画の神秘性に重ねて読み取ることができるのです。
人の一生は、星月から見れば、ほんの瞬きくらいの間のことかもしれません。それぞれがささやかな刹那に、命を輝かせます。しかしながらその瞬間も、美しさの種類もまた、二つとないもの(=不二)であるばかりでなく、不死すなわち普遍的なものでありたいと願うのです。