「ブログ記事の空の画像は、まるで今制作中の作品のようですね」というメールが来ました。
私はふと空を見上げて撮影しただけです。
絵画は、何かを見て描くと思い込んでいる人が多いですね。
確かにそういうことが主流であった時代もありました。
現代では写真を模写することをひとつの手法と考える人たちもいます。
それを揶揄する人もまだいるでしょう。

私の場合は、私の「内なる自然」に即して描くと、その後から同じような自然現象が起きて驚きます(笑)。その最たる例は、美浜美術展で出品した一連の『震生』『あめつちほしそら』『内なる自然』でしょうか。『内なる自然』は自分で驚く程、それまでと違った重い内容になり、「内なる自然からの何らかの警告なのだろうか」と思ったものでした。それは2010年の9月に完成し、巡回展は2011年の1月まで展示されました。そして、3月11日に大震災。私自身の人生も揺さぶられました。やっと落ち着きを取り戻した昨今、この度この作品は、ある地震防災に関係するお仕事の人の目に留まりました。落ち着く先が決まったのです。

相模原の和泉短期大学所蔵の『そこに泉あり』も、同じような不思議な縁に引き寄せられるようにして、その場所に嫁ぎました。柿田川の沸き水を見に行ってから、作品も泉の如く湧き出るようにと祈るようにして描いた作品でした。それが面識の全くないプロテスタント教会の牧師さんの目に止まり、その人を仲立ちとして所蔵が決まったのです。その題名は、私の個人的な思いを伏せて、当初は「trance-green」という名前がついていましたが、『そこに泉あり」は、やはり柿田川を思い起こした牧師さんの方からの依頼で、その名前に変えました。そのとおりの作品名と私も納得しました。

作品の旅に関しては、不可思議な力を感じずにはいられないことが度々起こります。しかし、それはとてもプライベートなことなので、詳しく公開することがためらわれます。ずっと後に、何らかの形で書き残すのがいいのかもしれません。