『今日の作家展 2005』の展示では、はじめてワークショップをとおして制作したBIO-MEMORY(2002-3)が、BIO-UNITE呼び水(2002)に由来することを示す展示としました。BIO-はバイオリズムのバイオ(生)あるいはバイオグラフィー(伝記)などからくる言葉で、自分の生命の証のような意味で名付けています。パネルにアクリルガッシュを何層も塗り重ね、縦のスクラッチによって、自分のバイオリズムを刻んでいくように制作しました。UNITEは、四方八方につながり広がる生命力を表します。(もともとボルトでつなげる穴がありました。))それは生命に必要な水を呼ぶような白あるいは青色の作品となって、サブタイトルを「呼び水」としました。
この作品は、同年に静岡県の「水の町」三島で発表した際、地元の人の話がヒントとなって、タイトルに新たな意味が加わりました。三島の町は湿気が多いせいか、雨が降る前に、コンクリートの割れ目の隙間などに水が走り始め、それが引き金になって雨が呼ばれると思われているそうです。その題名のとおりに、BIO-UNITE(呼び水)は、次のBIO-MEMORYという作品を呼びました。
同じサイズで制作されたこの緑色の作品は、2002年に静岡県立美術館で行われたワークショップ『メモリアル・コラージュあなたの思い出を下さい』の146名の参加者が各自の思い出を語りながら、思い出の写真をパネルにコラージュした作品に、私が何色もアクリル絵の具を塗り重ね、乾いた後にスクラッチで思い出を掘り起こすように制作したものです。参加者の生命の記憶を内包する作品です。この共同制作の企画は、次の昔話しがもとになっていました。
『そのむかし、中国の竜門の山峡に桐の老樹が立っていました。星と語る程に高く、その根は地中ふかく下りて、青銅色にとぐろを巻きながら白銀の竜とからみあっていたそうです。あるとき、魔法使いがこの樹を伐って、一張のふしぎな琴をつくりました。ところがこの琴は強情で、楽人の手に馴れることがなく、長いこと皇帝に宝蔵されていたそうです。琴の名手が何人も挑みましたが、琴は名手を拒んだのでした。しかしついに琴弾きの王者伯牙(はくが)が愛情をもって、やさしい手でその弦に触れると、琴は自然と季節、高い山と流れゆく水を歌ったのでした。それは、老樹が生きた四季折々の自然のいとなみの記憶を呼び醒まさしたからです。伯牙の演奏に恍惚となった皇帝は、伯牙にその秘訣を訊ねました。彼が答えるには、「いままでの人が失敗したのは自分のことだけを歌ったからです。私は琴の心にゆだねました。ですから琴が伯牙であったのか、私にはよくわからないのです。」』
この話しは、岡倉天心が1906年に英文で書いた「茶の本」の第5章「芸術の鑑賞」に出て来るものです。私には、この琴は作品、魔法使いは作家、伯牙は作家あるいはキュレイター、皇帝は鑑賞者であり、桐の老樹は「過去の記憶」を超越するような「遺伝子に刻まれた太古からの記憶」のようなものに思われてなりません。その他にもいろいろな考え方ができると思います。私の作品を見て下さる人は、さまざまな思い出を呼び覚ませたり、記憶の風景を重ねてお話し下さることがよくあります。聞いているうちに、私自身も時空間を旅しているような気持になり、その人と私の境がなくなる気がします。ですから話の上だけでなく、制作においても境界のなくなる共同制作はとても不思議な体験です。BIO-MEMORY(2002-3年、146点)は、作家とワークショップ参加者との境があいまいな作品です。参加者の思い出だけでなく、それを伺った時の思い出や、それに重なる私の思い出も交錯します。
そこで横浜市民ギャラリーで行われたワークショップ『思い出を語り、形にしよう!』では、なるべく参加者にゆだねるような作品にしようと試みました。作家作品にしないことを前提に考えてみました。BIO-MEMORYで絵具の下に埋められてしまったコラージュ作品の美しさを残したかったからです。このワークショップでは、参加者が思い出を語りながら、コラージュ作品「記憶」を、制作しました。それをさらにコピー機で複写したものの上に、さまざまな色の水性ボールペンの線を細かく交差させながら塗り重ねて、過去の記憶に今の自分自身を加えた、新たな作品「蘇生」がつくりだされました。これらの「記憶」と「蘇生」の両作品は浮くように重ねられ、ワークショップ・スペースの壁に随時展示されていきました(右下写真参照)。
これらの思い出に耳を傾け、さまざまな写真に見入っていると、私自身がその中に引き込まれていくのを実感します。ひとつひとつの作品の周囲は、必然的に生まれたかけがえのないシルエットを持っています。また一点での良さだけでなく、その集まりができることに見応えを感じます。それらは天空の星座を形成していくような作品になりました。私はこれらの「かたりベ」になるような作品を、つくりたくなりました。このワークショップ作品は展示終了後に参加者にすべて返却されました。しかし了承を得て、作品をデジタルデータとして保管させていただいています。画像を再び開き、その形跡をたどりながら、心の琴線を爪弾くように線描する作品。つぎの展開に思いをはせます。ところどころ作品を抜いて空白をつくった、このBIO-UNITE/BIO-MEMORYの展示は、ワークショップをもとに私が制作する次の作品のためのスペースを予感させるものなのです。
2005年3月春雪