来年1月に損保ジャパン東郷青児美術館で予定されている「クィンテッド展」出品の制作が、順調に進でいます。メインになる新作制作の下地塗り作業を進めながら、作品コンセプトや完成のビジョンがかなり固まって来ました。
私の場合、美術館などの公共スペースに複数の作品を展示する場合は、あらかじめ図面を頂いて必ず計画を練ることにしています。PCにストックしてある作品画像を使って、PhoshopとIllustratorで、簡単な展示風景をバーチャルで作成します。これをしておくと、展示作業がとてもはかどるということもありますが、制作のためにも重要なのです。
その展示に向けて新作を制作する場合、壁の高さと幅の釣り合いを、図面上で確認して、そこから作品のサイズ、矩形を割り出すことができるからです。
空間が先にあり、そこからその場所にしっくりする作品を創出することは、とてもやりがいを感じる仕事です。人によっては、先に描きたい作品があり、空間はそれに合わせて欲しいという考え方もあると思いますが、私はむしろ展示される場所との関係性が作品を限定してくれる方が、明確なコンセプトを持ちやすい場合が多いです。
いろいろな条件で作品が出て来ます。その時の持てる力を最大限に活用して、その時にしか出来得ない作品を発表して行きたいと思っています。
お陰さまで、主催者側から早々に展示費を画材等の準備金を頂くことが出来ました。
このことにより、当初予定したよりもかなりワイドスケールな作品制作の目処が立ちました。
今アトリエ内は、100号以上のキャンバスが5枚程。所狭しと立ち並び、隣の寝室にも参入している状態です。
プリントアウトした展示計画案を見ながら、わくわくし、作業の疲れもどこかに吹き飛びます。
私のこの今が、何にも比較し得ない「最も充実した至福の瞬間である」そう信じて疑いません。
作品コンセプトについては、先の記事に書きましたが、さらに練りに練って、より充実した作品にしたいと思っています。先日引き続きmichi@archisoudさんと「サブライム」についてtwitter上でやりとりをしました。文末にまとめましたので、ご興味のある方はお読み下さい。
ここ数日この言葉が気になり、できる範囲内で調べていました。
サブライム(=sublime)とは、崇高な、荘厳な、雄大な、圧倒的な、というような意味があります。
バーネット・ニューマンの『The sublime is now』という文章を読んでみたり、ルーク・ホワイトという人が『The Sublime Now』という著作を2009年に出版していることも知りました。
そして「宗教から独立し、一人歩きをした芸術。今や人々は、宗教ではなく芸術にこそ、かつて宗教が持っていて、今は失われた超越性や神秘性を求めているのではないか。」そのような内容を書いているリヒターの文章を思い出しました。
私が、今のコンテンポラリーアートにもの足りなさを感じているとすれば、この「サブライム」という部分をまず挙げるでしょう。
「サブライム」がこれまで歴史的に何かしらかの権威的な表象として利用されて来たことによる嫌悪感から、その再考が手つかずのまま忘れ去られようとしているのではないか、そのような気がしてなりません。
自分自身の作品を通して芸術の「サブライム」について真摯に向き合い、自分なりの答の一端を、次回の新作に出してみたいと思っているところです。
バーネット・ニューマンの「サブライム」への希求は、対ヨーロッパ芸術へのテーゼというところでしょうか。そこから翻って、改めて日本人としての崇高さとは、どういうところにあるだろうか、しばし考えてみる。
— yuko_kawadaさん (@yuko_kawada) 2013年5月28日
ヨーロッパの「サブライム」は、征服と頽落の歴史に彩られている。アートは、その省察と復権、再興をアートという場所に移して、目指そうとしているのかもしれない。日本の歴史には、そのような闘争は、もともとないのでは。私たちをずっと守ってくれている形のない「サブライム」を感じるから。 — yuko_kawadaさん (@yuko_kawada) 2013年5月29日
闘争はないけれど、見失うということは起きている。あるいは、見せて欲しいという要望があるかもしれない。しかし、もともと形がないものだから、陳腐な形を示せない。そういうところが課題なんだと思う。 — yuko_kawadaさん (@yuko_kawada) 2013年5月29日
伊勢神宮に一度行ったことがあるのですが、ああいうのが日本の典型的な「サブライム」の表現なのでは。凄くシンプルで静謐な佇まいなので、誰もが襟を正す。
— yuko_kawadaさん (@yuko_kawada) 2013年5月29日
@archisound ご意見ありがとうございます。バーゼルのあの建物凄いですね。驚きました。ああいうのを作る前に、日本人は、自然に対して屈服してしまう気がします。
— yuko_kawadaさん (@yuko_kawada) 2013年5月29日
つまり、広い空があったら、そのままがいいと思うでしょ?何も建物の屋根で、空を絞らなくってもいいじゃないというような。だから、芸術はいつまでも自然より上に価値付てもらえない。 — yuko_kawadaさん (@yuko_kawada) 2013年5月29日
“@archisound: 円形のアトリウムを空間ジョイントとする新しいデザイン archdaily.com/377609/messe-b…”この建物です! — yuko_kawadaさん (@yuko_kawada) 2013年5月29日
*この建物の屋根には、大きな丸い光取りの抜きがある(参照:リンクに詳細画像有り)のですが、私の最新作「氷の誓い」にどこか共時性を感じるのは、意識し過ぎでしょうか?
@archisound図面がないんですか!やっぱりそういうところにも未象の神秘性が守られている感じがします。だから芸術活動に、得体のしれない虚無感を感じることがあるのかもしれませんね。
— yuko_kawadaさん (@yuko_kawada) 2013年5月29日
“@archisound: @yuko_kawada …ヘルツォーグ&ド・ムロンは日本建築を深く理解しています。…日本的概念である「間」が巧みに使われています。”確かにこれは、垂直な「サブライム」表現とは異質だったので、驚きました。でもここにはフラクタルがないですね。
— yuko_kawadaさん (@yuko_kawada) 2013年5月29日
@archisound ヘルツォーグ&ド・ムロンの建築は、シンメトリーで、そこも日本の美意識とすれ違うところですね。いづれにしても気になる建築家です。 — yuko_kawadaさん (@yuko_kawada) 2013年5月29日
“@archisound: @yuko_kawada 「未象」的確な表現ですね。...桂離宮にしましても形はあるけれど本質は空間の流動性という「未象」が生成する美学ですね(*^_^*)”例えば、桂離宮の流動性の表現とはどういうものですか?とても興味深いです。 — yuko_kawadaさん (@yuko_kawada) 2013年5月29日
“@archisound: @yuko_kawada ある意味いまどきの建築においてここまで強いシンメトリーを用いる建築家は稀ともいえます。...彼らは西欧と東洋の美学を合体させようとしているのでは?と感じますね。”なるほど、東洋の美学をこちらからもアピールするべきですね。
— yuko_kawadaさん (@yuko_kawada) 2013年5月29日
“@archisound: @yuko_kawada ...空間の流動性=連続性を生成するために雁が飛ぶ形をインスピレーションの源にしていますね。”面白いお話しですね。日本の建築そのものが、空間的にも時間的にも固定されていない、そういう無常感はヨーロッパ建築にはあり得そうにない。
— yuko_kawadaさん (@yuko_kawada) 2013年5月29日
@archisound ここまでのお話しから、幾つかヒントを頂きました。日本のサブライムの未象性や無常観のようなものを絵画表現に繋げてみたいと思います。ありがとうございました! — yuko_kawadaさん (@yuko_kawada) 2013年5月29日
@yuko_kawada おっしゃる通りですね。東洋観と西欧観の差異に活路を見出だすことがこれからのアートや建築にとって重要ですよね。 — michiさん (@archisound) 2013年5月29日
2014年開催のクインテッド展展示計画案が昨日出来上がる。次の制作コンセプトも固まり、今日は清々しい天気。今日から130号キャンバスにも取り組む。
— yuko_kawadaさん (@yuko_kawada) 2013年5月31日
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*「画家川田祐子 芸術支援寄付」プロジェクト収入の経過報告51*
5月20日~6月1日
応援寄付 0名様 0口 0円
賛同寄付 0名様 0口 0円
損保ジャパン美術財団 200,000円
小計 200,000円
*『クインテット-五つ星の作家たち』展の展示費(作品貸与料)を頂きました。
大変助かります。ありがとうございます!
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目的達成まで あと 1,106,303円