展示に立ち合って、うまくいかない点が一つありました。
それは、ドローイングの照明です。
強いスポットを当てて、作品の細かい描線をよく見て頂こうと思いました。
しかし、どの場所から光を当てても、作品をどこに動かしても、
保護するために用意された透明なアクリルケースの稜線が、作品上に影を作ったのでした。
それでも、業者さんのたゆまぬ努力で、
1箇所だけ強いスポットを当てても影のできない場所が見つかりました。
しかし、その位置は、残念ながら、全体の展示景観を台無しにする位置になったのです。
そこで、私は照明を無くし、他の作品からこぼれて来る照明と、
壁の白さから反射してくる明るさだけで見てもらう方を選びました。
しかし担当学芸員は、展示を見るお客様を優先に、
「細かい描写を見てもらえるようにスポットライトをあてたい」というご意見でした。
私としても苦渋の判断でした。
もちろんベストな状態で作品を見てもらいたいのは山々です。
しかし、たとえ照明を明るくしても、実は見る人がその作品の前に立つと、
その人の頭が作品に影を落とすことになるのです。
カバーを外すことも提案しましたが、「作品の安全が保障出来ない」と、これは却下。
結局のところ、最善はなく、どれを優先して選ぶかという問題になりました。
結果、私は直感的に暗い展示で構わないと判断しました。
必ず上手くいかないことが、一つくらいはあるものです。
いやむしろ、一つだけで良かったと感謝するべきなのです。
そうブログにでも書こうと、ホテルに向かいながら自分に言い聞かせました。
帰ったら、ブログにこう書こう、ああ書こう、と思っていたところ、
ふと、そういうことを正直に言うことも配慮のひとつと気づきました。
そして、このような問題が私に何を教えているのか、
私が今回のことで、何を学ぶことが出来るのかを冷静に見つめることにしました。
すると、「はっ!」というような気づきがあったのです。
「強い光のあるところには必ず濃い影が出来る」
そのことを今の自分に教えているのだと。
このような大きな企画で、私の作品に光が当たったけれど、
そのことで、影になる人たちがいるのかもしれない。
私もそうであったように、たとえ直ぐには陽の目が当たらなくても、
地道に制作を続けている人たちが同時代に沢山存在している。
それは作家だけではなく、私と共に生きて来た様々な人をも影に落として行く可能性があるのです。
また私自身の中にも、このような明るい場所に突然出ることで、
その反面、大きな影が出来る可能性がないとも限らないのです。
「陽極まれば陰となる」ということがあるかもしれない、そう省察しました。
ご寄付を送って下さった方々の陰徳を積み重ねて、
その陰が極まって陽に転じたのが今回の『クインテット展』という大舞台。
そのことで陰陽にバランスが保たれているのかもしれません。
しかし、何もかもが陽に転じるわけではなく、
同時に陰も陽も同時に合わせもつことの方が、自然のように思えます。
内覧会やトークの時に、その経験を正直に話すことも出来ました。
今長野に帰って来て、展示が開始されるあの興奮はしばらく覚めやらぬような中、
1ケ月後に控える個展の制作に集中しなければなりません。
そして相変わらず今月の家賃や光熱費など支払いの目処は何も立っていません。
展覧会をすれば、大きな作品が買い上げられたり、
謝礼などの収入があるのだろうと人は思うのかもしれませんが、
そういうことは今のところ何も約束されていません。
そう言うと、関係者まで「エッ!」と驚かれます。
380万円を集めることに成功したこの度のプロジェクトも、
当初の試算は、作品を出品するまでの制作生活を維持するまでの計算のため、
そのお金は全て使い切って東京に向かいました。
やはり、光が当たっても濃い影が出来るだけなのだと実感しています。
プロジェクトが、十分成功したからと言って、
美術館での企画展が盛況だからと言って、
私の作品価格が高騰し、高収入が生じるわけではありません。
美術館の入館料は、あくまでも美術館の運営のために使われるのです。
このような美術館での出品では、これまで全くの無報酬を前提で企画を受けて来ました。
それでもすでに昨年9月に準備金20万円が支給され、それは今までに例のない格別のご配慮でした。
しかし、それだけでは2年間の制作生活は成り立ちませんでした。
心配された担当の学芸員から一度、生活保護を受けたらどうかとアドバイスもありました。
しかし、市役所の窓口で、健康上に問題があるとか、突然失業したからという例ならともかく、
絵を描いていて、収入がないというようなケースには適用出来ないという答えでした。
趣味で絵を描いている人との区別があいまいだからでしょう。
また、もしある程度の収入が入ってくるようになった場合に、
今度は生活保護を受けるために収入を諦める判断に向かう可能性があり、
あまり私には良い解決策にならないと感じます。
アルバイトなどの副収入を得ながら制作する作家も多いと思います。
しかし、私の制作方法はそれを可能にすることが出来ません。
キャンバスの上に線を一刻一刻入れて行く、その時間を見せることで、人が感動して下さるからです。
この時代にあって、自分の全ての時間を制作に向けることがいかに難しいことかを考えさせられます。
しかし、だからこそ私がするのです。
いえ、私しか出来ない制作方法と自負します。
それはご寄付によって可能となったことは言うまでもありません。
しかし、寄付を出して下さる方がいるかどうかよりも、
受けてみてわかることですが、
人から施しを受けるということもまた、厳しい試練でもあるのです。
作品が売れて、それだけで生活が成り立ったら、どんなに気が楽か分かりません。
しかし楽になったら、その制作に出て来る意味は、生活のためにお金を稼ぐ制作です。
そういう内容で人が今回のような気持ちで、同じような感動をしてもらえるのかかどうかも疑問です。
たとえ陽の目を見なくてもコツコツ制作を続ける、
だからこそご支援が集まり、支援者との共同の活動になりました。
そのことに人が喜んで下さるように思います。
その気持ちがここまでの活動を可能にしました。
それは、これからも何も変わらないのではないでしょうか。
展覧会の内覧会で、文化庁の担当者が声を掛けて下さいました。
作品や展示を素晴らしいと褒めて下さり、
「文化庁にこうして欲しいというご意見があったら、何でも言って下さい。」とおっしゃって下さったので、
正直に「文化庁の作品買い上げにはならないでしょうか?」とお聞きしたのです。
答えは、「最近まで1点50万円の予算で買い上げをして来たのですが、
あまりに時代にそぐわなくなったので、その制度まで廃止されてしまった」とのことでした。
希望と絶望は紙一重です。
希望に転じるか、絶望に転げ落ちるか、この時点に今立っているような気がします。
それでもそのような喧騒に耳を傾けても、動じることなく制作を続けて、チャンスを待とうと思います。
この展覧会の開始直前に美術館関係者から、
「どうしてここまで制作を続けて来られたのですか?」と聞かれました。
私は「不幸をいつも選んで来たら、続けられただけです」と答えました。
人が幸せと思う方を選んでいたら、今頃は絵に描いたような幸せを生きていたでしょうか。
有名大学を出て、一流企業に就職し、好きな人と結婚をし、子どもを育て、庭のある一戸建て家を建て、家族と共に生きる人生。
しかし、それは画家の人生ではありません。
人がそっちは辛いから行かないという道にこそ、この道が続いていました。
私にとっては、人が希望する生き方に画家としての希望は見出せず、むしろ絶望とさえ見えました。
芸大には敢えて受験しませんでした。
そういう肩書きはかえって邪魔になると思いました。
途中迷い、人が羨むような職業を幾つも転職しました。
お金よりも時間を選び、自分から辞めました。
何人もの求婚者が現れて、幸せになろうと言ってくれました。
その幸せは、私にとっては重荷に思えました。
幸せを諦め、思い切った所にエネルギーが生じ、
その力をバネに制作することが出来たのです。
そしてわずかでも理解ある人にいつも囲まれて、
じっくり静かに制作出来たのだと思います。
何度も繰り返しますが、「絶望と希望は紙一重」です。
『クインテット展』は私のこの2年間の制作にとって、希望の光でありました。
しかしこの展覧会が今後希望の光になるかどうかは、
一重に美術館に足を運んで下さる方々のお力にかかっています。
なるべく多くの方が見て下さること、
1点でも大作が動くこと、
次の発表の機会を頂くこと、
何らかの吉報を待ち望んでやみません。
そしてその答えが見えて来て、次なるプロジェクトが立ち上がるまでの間、
とりわけ、2月11日からの個展に向けて制作するこの約1ヶ月の間、
引き続きご寄付による支援をお願いしたいと存じます。
何卒よろしくお願い申し上げます。