硯に墨を溜めるところを硯池とか、硯海というそうです。硯の上に水を落とし、ゆっくり墨を磨る行為は、波の繰り返し打ち寄せる様子や、砂浜を浸食していくさま、逆にさまざまな漂流物を打ち上げていく営みに似ています。「硯海」という言葉から、小さな空間で硯を使って書をしるす個人的な行為が、壮大なスケール感へと置きかえられます。

 私が制作でおこなう、スクラッチやハッチングの技法の重層性、研磨、浸食、反復は、すべて海に由来する行為なのです。父と歩いた三浦半島の砂浜は、砂鉄を多く含み、打ち寄せる波が砂をよく磨いて、硯のような質感がありました。

  昨年6月に、父の遺したものを全て処分したのですが、その中にたくさんの硯が含まれていました。私は父から書を習うことをしませんでしたので、それを後生大事に持つつもりはなかったのです。でもあらためてそれらを失うことで、よりひしひしと硯への想いがつのっていきました。大切なのは、物象ではなく、それらに宿る精神であることに気づきかされました。そういう精神性を父が遺してくれていたのです。その一つが「硯海」という言葉です。

 その想いがつのる頃、10月にドイツのケルンのアートフェア(アート・ケルン)において、マーク・トビー(1890-1977)の作品と出会いました。 アメリカ抽象主義の作家で、東洋の書に影響を受けた太平洋派の一人です。

 書の意味や内容というのは、その言語を使わない人たちにとっては、ただの形象であり、抽象的な図像だといます。ちょうど私たちが海外の音楽の歌詞の内容を知らなくても、メロディーやリズムで十分楽しむことができるように、書に対する楽しみ方が文字の意味内容以外にあるということを発見したのが、この太平洋派の画家たちだったのではないでしょうか。

 マーク・トビーの作品における、テンペラの白の線描はホワイト・ライティングという言葉で説明されます。これは日本の「白描」(=墨の線描だけの表現)という言葉を彷彿させますし、また、篆刻などの、文字の白抜きのことであるようにも思えます。あるいは、ダイレクトに文字のない書という意味なのかもしれません。

 いづれにしてもマーク・トビーの作品との出会いは、私の制作を支えるさまざまな事象を素直に振り返るきっかけを与えてくれたのです。私は、書の文字の意味内容よりも、その墨の色,文字の構造や、書を支える精神性に特別な興味を持ち続けていたのです。それはマーク・トビーの気持ちとどこかで通じ合うもののように思われました。

 「東洋の精神性」というと、岡倉天心にまで遡るようなずいぶん古い概念になってしまいますが、書家であった父のもとで、私はそれを実際の生活の中で肌で感じながら育つことができました。次回の6月の個展(2006年6月12日~7月1日 かねこ・あーとギャラリー)では、「硯海」にまつわる回想から出来てきた作品を発表する予定です。