毎日毎日制作に根を詰めて行くと、途中はそれ以外の事に何も関心がなくなって、食べたり寝たりというような生活の事すら考えられなくなってしまいます。それでもそれを通り越すと、ある時に何でもないようなことに胸が一杯になったり、涙が溢れて来るようなことが起きて来ます。自分でもおかしいなぁとは思うのですが、だいたいこんな具合になって、ようやく新しい制作に実感が湧いて来るというところなのです。

食生活は、ですからいたってシンプルにする工夫をしていて、保存のきくものや毎日食べても飽きないもの、調理に時間がかからないものに自然となっていきます。極たまに行く買い物すら、猛スピードで、買うべきもの以外には目もくれないような始末です。本当はいろいろなものを食べればいいと思いますが、選んでいる余裕がありませんし、そもそもいろいろな食材を買う余裕もないわけで、玄米のお粥、パンとコーヒー、パスタ、ナッツとドライフルーツ、このバリエーションでとても楽をしています。お粥の中に、煮干し、野菜、玉子、梅干しなどを入れます。こちらでは、大根に立派な葉がそのままついて、100円前後で出回っていて、それがとても美味しいです。

そんな生活の中、先日近くのパン屋さんからメールが来て、巨峰のお裾分けを頂きました。甘くて瑞々しく、あらためて葡萄の味を堪能しました。美味しさというのは、こういう時に感じさせて頂く、本当にありがたいものです。心から感謝して頂きました。

このブログサイトも、しばらくほっぽらかしになってしまっていたのですが、そんな中でも奇特な九州の方から、『通信誌第2号』の注文がありました。感謝の気持ちで一杯です。ありがとうございました。

個展を見て下さった方々から、メール等で感想をたくさん頂きました。本当は、見に来て頂いた方々にお礼の手紙を書くつもりでいたのですが、それよりも今は、とにかく今の制作に打ち込む事が、恩に報いることになると判断して、お手紙を出すのを先延ばしにしております。この制作での成果をお知らせ出来るように、尽力しているところです。

頂いたお便りの中に、私の個展をきっかけに、KANEKO ART TOKYOで発表されている他の作家の方達の作品にも興味を持ったので見に行ってみます、と書いて下さった方がいまして、とても大きな喜びとなりました。美術の世界は、一口では言い表せない程に多様で、まるで大海のごとく深く広い世界です。私の作品が一つの入り口のようになれれば、というのは長年心の片隅に持ち続けている一つの願いです。

私の作品には、美術未開拓の人が入りやすい何かがあり、それをきっかけに他のとっつきにくい現代美術への架け橋になることがしばしば起きます。それがどういう理由なのかはわかりませんが、これまでにも幾つかの例を経験しています。

その一つの例になるのかもしれませんが、2010年当時に知り合った時には「美術にはあまり関心がありません」と言っていた人が、このようなブログを書いていましたので、是非その内容を読んで驚いて下さい。今では美術館での特別展を初日に見に行ってしまう程のようです。「もの派」の作品にこれだけの感想を書けることが、信じられません。と同時に、とても嬉しくて胸が一杯になりました。

http://blog.philosophia-style.com/monoha.html

美術の世界には、どうしようもないようなものや、近づきたくないようなものまで確かに含まれていますが、一方で生きる糧になるような大きな喜びや感動もあるのです。そういうものは、どうしようもないものまで、かけがえのない存在にさえしてしまう程の威力があります。ですから、これを感じずに死んでしまうのは本当にもったいないことです。

そのようなことが、いつどのようにして起きるのかは、人によってさまざまであり、どのような作品と決まっているわけではありません。また、ある人にとっての感動の作品が、別の人の感動にはならない事もあります。また、感動を受けても、それがどういう事なのか本人にもその意味がすぐにはわからないこともあって、10年後にわかるなんていうことまであります。私の作品についても、ある展示で見てその時にはピンと来なくても、ある時にふとぶり返すようにして感動が起きて、細い糸を探るようにして個展を見に来て下さるような人もいるのです。

だからこそ、美術との出会いはかけがえのないものになるのだと思います。「美術なんて」と思っている人にこそ、大きな感動の瞬間が期待出来るとも言えるのです。

出会いは、どこに用意されているかわかりません。ここにもまた一つの出会いがありました。こちらのサイトで、私の作品を紹介するオフィシャルサイトをご紹介して下さっています。他にも同時代に活躍されているアーティスト10人の方々のリンクが貼ってあるようです。是非お訪ね下さい。それにしても私の紹介文、照れますね(汗)。

http://follec-flack.blogspot.jp/2012/10/blog-post_17.html

制作はいよいよ追い込みです。今回の作品は、最後の仕上げに充分な時間を持つ事ができそうですが、新しい傾向が含まれているために、自分の作品として消化するまでに時間がかかっています。丁寧な仕上げも大切ではありますが、またあまり手を入れ過ぎると勢いがなくなることもあります。じっくり判断して完成させたいと思っています。

制作の手を休めて、グレン・グールドの演奏するバッハに耳を傾けるひと時が、何よりも休息の時間となります。バッハの音楽はとても抽象的に思えてなりません。それがなぜなのかずっと考えていたところ、このような文章に出会いました。
「晩年のバッハは学校や教会の仕事に情熱を失い、自分が今まで信じてきたバロック音楽の完成に力を注ぐようになる。その結果生まれたのが、複雑なカノンやフーガで構成された〈カノン風変奏曲〉や〈音楽の捧げもの〉、〈フーガの技法〉である。それは実際に演奏されることより、自分の芸術信条の証しとして書かれたもので、一種の抽象音楽であるとさえ言えた」(『バッハ 神はわが王なり』p.119)

「芸術信条の証し」として、私も今の作品を完成できればと思うのです。何かはっきりした目的のための絵画ではなく、何だかわからない大きなもののために私は制作するからです。後1週間弱、制作の追い込みです。

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*「画家川田祐子 芸術支援寄付」プロジェクト収入の経過報告31*

10月4日~10月19日

応援寄付 0名様 0口       0円
賛同寄付 0名様 0口      0円

通信誌 1冊 3000円

小計 3,000円
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2014年目的達成まで あと 2,544,659円