東京都心では、雨の影響で、野菜の価格が高騰しているとのこと。
こちらでは、近くの八百屋さんから買って来た地産の梨や大根は、
昨年よりもやや水分がわずかに多く感じられるものの、
価格はいつもと何ら変わらず、おそらく都心の半値以下で買うことができます。
それは、地域外への出荷にならない規格外の大きさや不揃いなもの、
実の熟したものが出回るからです。
これらが案外、味が濃くて美味しいのです。
聞くところによると、日持ちさせるためによく熟す前に収穫されたものが、
都心のスーパー等に出荷されて行くのだそうです。

ウェブニュースで、都心のスーパーの野菜売り場のコーナーに、
ペットボトル入りの野菜ジュースが並べられている様子が報道されていました。
価格が高いと感じた人に、代替えとして野菜ジュースが買われているからなのだそうです。
合理的ですが、ちょっと気の毒なようでもありました。
ジュースでは、歯ごたえないですから...。

そんな些細なことをとっても、長野で毎日美味しい野菜が食べれて制作出来ることに、
心から深い感謝の気持ちが込み上げて来ます。

そんな気持ちでこれまでの制作を振り返ってみると、
これまでは一生懸命「美味しいですよ」と、
野菜を絞り絞った濃縮還元の野菜ジュースを作るような抽出作業の制作だったかも知れません。
世の中には奇特なマニアな方々がいらして、
「これは珍しい。良薬は口に苦しと言いますからね。」
と言いながら飲んで下さいました(苦笑)。

それはそれとして。

長野に来てからは、そういう世界から少し離れたために、
もっと素朴な気持ちで制作出来るようになって来たかもしれません。

野菜ジュースも良いけれど、たまには生のまま丸ごと噛りつくような食べ方が出来る作品です。

昨晩ようやくその大作がほぼ完成しました。

今回の制作は、一度自分というものをどこまでも限り無く虚しくして、
徹底的にそのままを写実してみようという試みです。
とても時間がかかりました(汗)。
1時間も描いていると、全身の毛穴から汗が滲み出る程でした。
大作ということもあって、久々に絵画を制作する緊張とスリルを味わうことが出来ました。

日常の既によく見知っているような空でさえも、
その雲の様子はとても複雑で有機的でフラクタルに満ちています。

その既知のものを未知化させることで、自分の雑念を取り払って描いてみようという試みです。
「これは雲ではない、漠とした抽象なのだ」と自分に言い聞かせながら。
そこで、天地の方向性を全く無視して、極めて抽象的に見えるものとして制作しました。

studio2014-1
(この方向で制作しました。向かって左手は、30号作品『無時の泉』)

天地をそのままに見てしまえば、それは単なる風景画と言えばそうなのかもしれません。
しかし重要なのは、具象も抽象も一つの絵画の中に包括されているという制作です。
そして、作者がどちらにも融通無碍に行き来出来るという、
幅のある制作作りが出来ることが重要なのではないかと考えてみました。

studio2014-2
(作品を縦長にして見たところです。題名は『無方の空(仮)』)

変化に戸惑う人もいるかもしれませんが、また新しい出会いもあるかと思います。

川田作品は、固定した様式化を目指すのではなく、
制作者としての成長とそして見る人、時代とともに歩み行く作品でありたいのです。

明日からは。100号作品に取り組みます!

追伸:
定期的にご寄付を送って下さる方々がいらっしゃいます。心からお礼申し上げます。
ただひたすら自分の存在の力を信じて、雑念に囚われることなく、真摯に制作して行く所存です。
引き続き、ご支援、ご協力の程よろしくお願い申し上げます。