今回のワークショップでも、参加者が持参したスナップ写真を1枚選んで思い出を語る時間を設けて、そこで聞いた話等をふつふつと思い出しながら、共同制作の作品に筆を入れています。個々の具体的な話しは、残念ながら私から語られることはないでしょう。それらは個人のプライベートに関わることだからです。ですから、使われるコラージュ作品も、私の作品として取り込まれながらも、一方で、私の筆線で見え隠れして行く、その加減が制作の難しいいところであり、また醍醐味でもあります。

信濃美術館ws作品経過1   信濃美術館ws経過2
ハッチングの筆線がかなり入って来ました。左画像が現在の状況です。

思い出とは別に、今回参加者の人たちと接して、印象に残った言葉のやりとりがありました。ワークショップの最後に小学生の娘さんと一緒に参加されたお母さんの言葉です。

「写真を切り貼りする作業をするのに、こんなに頭を使うとは思っていませんでした。自分を表現するというのは、とても考えることが必要だということをはじめて経験しました。娘にとっても初めての経験になったかもしれません。」

「学校ではきっと自分をなるべく出さないように、目立たないように、控えめでいなければならないところがあるかもしれませんね。そういう学校教育を受けて社会に出た頃には、すっかり自己表現が苦手な大人になりかねなくて...、それはとても残念なことだと私は思います。」
私はそのような受け答えをしたのでした。

私にもそういうことは切実に実感があって、社会に出ても尚、何か得体の知れない「滅私」という呪縛を受けて来たように思います。これは日本の社会の独特な性質でもあって、ドイツで生活を経験したために、はっきりと自覚するようになったことです。私の共同制作には、そのことをじわじわとわかる人にはわかるくらいのようにして、臭わせている部分があります。

以前、2007年の相模原市民ギャラリーでの企画展に出品した、共同制作作品について、神奈川新聞にこのような批評が掲載されたことがあります。

「ーー、川田の作品は一人の個人の身体を通って現れ出た世界の一端を見ているようである。作者固有のものだが、誰もが共有できる空間であり、アートが持っている不思議な力である。スクラッチとハッチングという正反対の技法を繰り返すことによって産み出される空間は宇宙の広大さを思わせ、そこで作者の存在は消滅している。
スクラッチだけの屏風のような連作、細やかな光りに満ちた「千の風」の空間、参加者の写真を用いて共同で制作した約百五十人の「思い出」の作品。確かにいろいろ思い出す色で、深く懐かしい。」
(藤島俊会著、『神奈川新聞』文化欄「かながわの美術展評」p.6 「時間と歴史の深い考察」より)

共同制作作品では、参加者のプライベートを見え隠れさせるだけでなく、私という作家の自己主張のようなものまで打ち消して行くような制作になります。このことが、私自身の作品としても重要な部分でもあり、それに気付く人は極希です。打ち消しの打ち消しが反転して自己表現につながるために、よほど自己存在に痛手を受けたり苦い経験がない限りは、真正面から向き合ってもらえないのかもしれません。そして向き合えば向き合う程、何か重いものを見た心地がするので、なるべく別のところを見ようとすることもあるかもしれません。ですから、一番最初に出来上がった『BIO-MEMORY』という作品は、いろいろな意味で重くて、心地よい作品だと褒めてもらえるような作品では無いのかもしれませんが、しかし迫力という意味ではとても強いものでした。

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右:BIO-MEMORY2002-3
20x20cmx146点

「滅私」とか「自己消滅」ということは、私の作品にずっと流れている一つのテーマでもあります。私の作品には、1999年あたりから、「漠とした寂寥感」というものが確かにあります。それはおそらく、時代の「虚無感」というものを背負っていることとも関係があるでしょうし、自分自身の人生上に、「空しさ」を感じぜずにはいられないことが度々あったことも関係していると思います。

新作の「白銀の雲」という作品などは、それを強く出してみた作品でした。長野の空を「空しい」と見上げた時に、白銀の雲をみつけて、心から「美しい」と感じたのです。と同時に、これが「荘厳さ」というのではないかと実感しました。そういう経験から紡ぎ出された作品です。一見とても地味で、複雑に込み入った作風とは違っていたので、ちょっと難しいのかなと思っていました。でも、縁があって、先日行く先が決まりました。良い出会いに恵まれるかどうかということは、はかりしれないことだとつくづく思います。

platinum clouds-sss

白銀の雲
2012
ハッチング/スクラッチ
アクリルガッシュ/キャンバス
45.5X53cm

「虚無」というものはやっかいで、恐ろしさのようなものも共存します。いろいろな経緯があって、長野で生活するようになり、そういうものの危機感を常に肌で感じながらも、それでもしぶとく何とかしながら制作を続けています。今年1年を振り返り、我ながら人生の転機をよく乗り越えることができました。これを乗り越えられたのも、多くの方々の寄付支援や作品の買い上げによる善意によって、その「虚無」がよい意味で「虚空」へと近づくようにして昇華したからではないかと思っています。余計なものをなるべく捨てて、新しく生まれ変わり、一から出直せたのではないでしょうか。「無」と「空」とは似ていて、しかし全く違うものです。「空」には内包させる力があるからです。そして、そこを出たり入ったりさせる力があります。時に全てを捨てることで「空」としようという動きが起きます。

「世を捨つる人はまことに捨つるかは
捨てぬ人をぞ捨つるとはいふ」

これは西行の歌です。「出家した人は悟りや救いを求めており、本当に世を捨てたとは言えない。出家しない人こそ自分を捨てているのだ」ということが詠まれています。

最近この歌と出会って、とても驚きました。私が20年程前に禅寺での修行の日々、ある朝方に、これと同じような言葉を夢の中で告げられて、寺から出たからです。画集に寄せた文章にそのことを詳しく書いたか書かなかったかもう忘れてしまいましたが、この経験から、私は絵を描いてどこまで自己を消滅させることができるかを確かめようと思いました。それは「滅私」とは全く異なるものです。自己を昇華した先の「虚空」というような静かで荘厳な世界です。そういうものをもっと作品に出せればと制作しているところです。