1997-8年頃から、かれこれ8年くらいスクラッチ技法を続けていることになります。この技法を使うようになった経緯などは、拙著『一雨潤千山』に掲載したテキスト『千尋の底の一つ石』に書きましたので、そちらをご覧頂ければ幸いです。次回の個展は、スクラッチ技法の作品を中心に出す予定です。
一雨潤千山
 スクラッチによる作品は、下記のような行程で制作しています。

1.画布の目をつぶすようにして、下地材を塗り重ね、耐水性サンドペーパーで磨き上げます。この作業の出来が最後の仕上げを大きく左右します。平滑な面をつくらないと、摩擦でスクラッチが思うように進められないからです。制作の内60%はこの作業で占められます。

2.カラージェッソの赤、次に金を刷毛で平塗りし、その上からアクリルガッシュのさまざまな絵具を重ねていきます。下は明るい色からはじまり、最終的に暗い色で終わるようにしています。赤や金の色を仕込む主な理由は、金地による重ねた色の冴えが期待できることと、画布を傷つけないためのシグナルにするためです。

3.どの絵具も色を重ねることで、色の発色がよくなります。また、溶剤そのものの特性、画材の物質性が生まれます。また顔料だけでは出し難い透層性も加わることになります。

スクラッチ技法 4.この層状のしくみは、刃物で掻き落とす行為によって、暴かれていくことになります。使う刃物は写真のような、ごく普通のカッターナイフです。私が愛用しているものは、替え刃が一度に5~7枚入れられるものです。だいたい10~15分くらい使用すると、刃が消耗するので一コマを割り取ります。1枚しか入らないタイプのものでは、作業が長続きしません。ですから、ポケットには常に刃を割り取るケースを入れています。写真に見える刷毛は左手で持ち、キャンバスが作業で揺れるのを押さえるとともに、掻き落とした絵具のカスを払う役割があります。金具のところをテープで隠しているのは、光が反射してまぶしいからです。刷毛に付着しているのが、絵具の削りカスです。

 削りカスは、粉状ではなく、細い糸がくるくる巻き上がったようなものです。それが大量に積もると、ふわふわとした心地よい綿のようになります。これも作品にしたらどうかというアイデアもあるでしょうが、いままでそういう発表の仕方はしていません。画布の上の作品にこだわりを持っているからです。

 これは、ちょうど銅版画のエッチングの銅版そのものを作品として見るような立場、にあるといえるかもしれません。カラーエッチングの色ごとの版を重ねたものと言った方が近いでしょうか。また、写真の仕事をされる方にとっては、写真プリントのしくみに近いと言われたことがあります。印画紙には色の層が塗り重ねてあって、それを薬品で溶かすしくみなのだそうです。

5.ただひたすら、カッターナイフで、一線一線を掻き落としていきます。初期は縦の線だけだったのですが、2000年頃からクロスさせるようになりました。1日中この作業をしていると、周りの人たちがとても心配してくれます。でも本人としては、この作業をしている時期が最も楽しく、それまでの苦労をすべて忘れさせてくれます。そしてあっという間に終わってしまう作業でもあるのです。

 「腱鞘炎になりませんか?」とよく聞かれます。おかげさまで、丈夫に出来ているのか手首等に違和感を感じたことはありません。また人が想像する程、力のかかる作業ではないのです。よく磨いた下地は、気持ちよい程滑らかで、氷の上を滑っているような気分です。問題は内より外にあるかもしれません。上の階の住人がよく引っ越すのは、この作業のせいではないかと気が気でありません。シャキシャキ1日中聞き慣れない音がするからです。肩が凝る時期は、下地を磨くときです。窓ふきを1日中しているような感じです。なるべく1日のノルマを軽くして、長い期間をかけるようにしています。1ヶ月中こればかり続けたこともあります。今では、1日に多様な作業を盛り込むようにしています。午前中「磨き」、午後から「塗り」「スクラッチ」というようにです。

 これは、ずーっと続けられる仕事として私の中でみつけだしていった作業方法です。「細かな線をどうしたら楽に描き続け、没頭できるか」というところから出発しました。その結果、それを準備する下地をつくる労力が必要不可欠になりました。初期は、その手間をはぶくために、スターウッドという木のチップを圧縮した板材を使用していた時もあります。布目をつぶす手間ががはぶけましたが、これでできている作品はとても重いのが欠点です。結局、今はオーソドックスに目の細かいキャンバス地を愛用しています。

 このように地味な作業を、すこしづつ改良を重ねて育ててきました。また、何かのきっかけで変化していくこともあるかもしれませんが、何も変わらず続けていくことも大切ではないかとも感じます。変わるものと、変わらないものを同時に受け入れ、持続させていくエネルギにーしたいとも思います。

 でも第三者からは奇異な姿に見えるかもしれません。私の顔をまじまじと見つめ、「どう見ても普通の人だけれど、本当は違う顔をもっているんでしょうねぇ。」と言われたこともあります。誤解されて仕方ないのかもしれませんが...。

 アーティストを特異な存在として見ようとする人もいるかもしれませんね。でもスクラッチ作品は、私にとって、ありふれた普通の人の、ごくシンプルな行為から生まれる、「力強さ」「おおらかさ、かつ繊細さ」「気長さ」を見せる制作にしたいのです。そういうところに生命力が宿るように思われるからです。